移住者はまちづくりのエネルギー源
文:ユーキ(池松勇樹)
移住と一括りで言われていますが、その実情は様々な理由や形態が存在していると思います。結婚を機に、仕事の都合で、その土地が気に入ったという理由で、単身移住、2拠点生活、家族で引っ越しなど、その形態も人それぞれではないでしょうか。今回は、私の活動拠点でもある「柳町」のまちづくりからみる移住と地域の可能性についてお伝えできれば幸いです。
移住者がもたらす地域の活力
柳町は上田駅や上田城から1㎞ほどの距離にある、全長200mほどの古い町並みが残る通りです。現在は景観も整備され、人気のお店が軒を連ねる上田城下の観光地として多くの方に認識されていますが、平成初期までは廃墟感漂う忘れられた裏通りでした。この通りがどのようにして復活を遂げてきたのか、その背景には移住者の存在がありました。地元住民だけでは突破できない「日常」の壁を越えるため、踏み出す一歩の背中を押すことができる移住者の存在は、まちづくりにとって重要な要素の一つと言えそうです。
事業者としての移住からのまちづくり
平成4年、地元有志が立ち上がり柳町を復活させようという動きがスタートしますが、「手打百藝おお西」がオープンした平成12年頃から活発化し始めます。店主の大西利光氏は、東京からの移住者。第2の人生に蕎麦打ちを選択し、上田で商売をはじめられました。柳町と出会った大西氏は、この通りの持つポテンシャルに惹かれて移住し、柳町のまちづくりに大いに貢献されます。
柳町の未来を夢見て、事業者として地域に関わるようになった大西氏ですが、「稼ぐ」ことで柳町に多大な貢献をされた方です。おお西の蕎麦を食べにくる観光客によって柳町を訪れる客が増え、その売り上げの一部を柳町のまちづくり基金として寄付することで現在の柳町の礎を築かれました。
その過程では、住人の方との摩擦も数えきれないほどあったと思い出話をしてくださいますが、常に未来へのイメージを持ち、行動してきた大西氏の想いが住人の皆さんに伝わったのでしょう。
住人としての移住からのまちづくり
柳町で一番古くから続いている岡崎酒造の現社長である岡崎謙一氏は、結婚を機に柳町に移住してきた方です。現在、柳町のまちづくりに積極的に関わられていて、今でこそ大きな存在感を持っていますが、移住してこられた当初は事業者としてではなく、住人としての側面で地域と交流するところから少しずつ親睦を深め、柳町の一員として認識されるところからのスタートだったとのことです。
生活者という日常の目線から仲間づくりをしているため、まちの変化に対する住人の不安感などに敏感で、新たな取り組みをはじめようとするときの事前調整に余念がありません。そのため、大きな衝突などをせずに、未来に向けて歩みを進めることが出来ています。
移住。それは価値観ではなく、日常の共有から。
住人の日常は移住者にとって非日常。移住者にとって魅力的なものが住人にとっては当たり前のものであって、感動の共有をしづらいという現実があります。移住者は期待に胸を膨らませて日々を過ごしますが、住人はその感動の熱量の意味を理解できないというギャップが生まれます。この擦れ違いによって地域の未来につながるまちづくりエネルギーが消失してしまい、せっかくのチャンスを失っている例は多く見受けられます。
こういった残念な結果を生み出さないようにするためには、移住者の皆さんが焦らず、まずは住人の見ている「日常」の感覚を知ることが大切だと思います。先住人の皆さんが感じるであろう大きな変化に対する不安をイメージできるようになれば、住人という同じ立ち位置から、未来のまちを語り合う仲間づくりを心掛けることで、コミュニケーションも取りやすくなり、新しい、そして楽しいまちづくりができるのではないでしょうか。
上田の明るい未来のために、まちづくりのエネルギー源となって、住人の背中を押してくださる方の移住を心よりお待ちしております。